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2014年8月19日 (火)

「ペリリュー」その2/瓶の中の2匹のサソリ/砲身の細い戦車

  

今日は8月19日。

  

前投稿のつづき。

  

8月13日の放映の「NHKスペシャル 狂気の戦場ペリリュー ~”忘れられた島”の記録~」より。

  

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小さな島です。

次のサイトに行くと、パラオ諸島のどのあたりにある島であるかわかり、

2006年のペリリュー島の様子を見ることができました。

都留文科大学 文学部 比較文化学科 教授 大森一輝先生のHP 「ペリリュー島」

   

日本人兵士で生き残った土田喜代一(きよいち)さん(94)はこう語ります。

  

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激戦だったです。

瓶の中にサソリとサソリを入れて蓋をして

殺し合いをしたような格好じゃなかったですかね。

どちらが死ぬか、逃げ場所がない戦い。

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日本軍は、満州にいた陸軍歩兵第2連隊がペリリューに移動してきました。

当時最強の軍隊でした。

アメリカ軍は第1海兵師団第1海兵連隊3000人が投入されました。

やはり当時最強と言われた軍隊でした。

まさにサソリでした。

  

ペリリュー島の日本側の守備隊長は中川州男(くにお)大佐でした。

中川大佐は、アメリカ軍が大挙してやって来ることが予想される中、

ペリリュー島でどう戦うか作戦を考えました。

その結果、硬い岩山を掘って、複雑に入り組んだトンネル陣地を作りました。

500か所作られたと言われています。

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オレンジ色の場所が、洞窟の入り口。

  

  

攻撃側の隊長だったウィリアム・ルパータス少将は、

「3日もあれば、ペリリュー島は制圧できる」と言っていました。

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日本側が、大挙して突入してくる戦い方をしていたので、

早くけりがつくと考えたようです。

しかし、日本の戦い方は、ペリリュー島の攻防から変わっていました。

大本営からの命令が出ていました。

 

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長期持久戦をして、敵に多大なる損害を与えよというわけです。

ペリリュー島での攻防は、3日どころか77日間に及びました。 

  

  

戦いの様子を生き残った人たちが語っています。

  

土田喜代一さん。戦車戦のことです。

 

向こうは78mm砲でしょ。 シャーマン戦車です。

こちらは37mm砲でしょうが、(アメリカの戦車に)当たっても弾が通らんわけですよ。

ところが向こうは78mm砲だから、1発当てれば、粉々になるわけですよ。

  

戦車の大きさがだいぶ違ったようです。

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日本軍にとっては頼りにしたい戦車だったのに、

脆くもやられる姿を見て、恐怖心は高まったことでしょう。

映像を見ても、日本軍の戦車の砲身がとても細いです。

(つづく)

  

  

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