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2013年11月

2013年11月30日 (土)

11月24日の講座/「嫌なことを我慢する力」は×

 

今日は11月30日。

  

先週行った講座は特によかったです。

  

「子どもたちの目がキラキラ輝く授業づくり~聞く、話す、読む、書くの巻~」

講師:村上公也先生  赤木和重先生

  

講座に参加後、とても気分がよく、晩酌では多めのビールを飲みました。

村上先生の講座に参加した幸運に感謝?

村上先生の略歴

京都教育大学特別専攻科卒業。

京都市立小学校特別支援学級を31年間担任。

現在、京都市市内の特別支援学校、支援学級への指導・助言を行っている。

  

  

   

もっと早く勉強したことをまとめようと思いつつ、1週間がたってしまいました。

勉強になったことを箇条書きで書き留めて、後に生かしていきたいです。

  

  

  

〇「充実した今を積み重ねるから未来がある」「豊かな経験を積み重ねて、未来になる」

 「我慢ばかりを練習させたら、誰でも嫌になる」

 「楽しい今があり、充実しているから時には我慢する気になる。

 つまり希望を持つことができることで、見通しがつき我慢ができる」

 「勉強嫌いにさせては、何の意味もない」

※上記の「 」の言葉は、下記の対談からの引用。講座で紹介された。

 

佐藤学×秋田喜代美 「これからの学び」を考える
YouTube: 佐藤学×秋田喜代美 「これからの学び」を考える

〇他にも佐藤学さんの言葉

 「教育というのは大人になった時の効果という形で見るということに疑問を持っている。

 教育は今のためにある。将来のためにあるのではないと考えている。

 今を幸福にするために教育というのがあって、

 その結果として将来につながればいいと思っています。」

〇このような佐藤学先生の発言を受けて、村上先生の発言

 「授業は、将来のための我慢の練習ではないのです。

 今が大事で、今を幸福にするために教育はあると思います。

 その教育の副産物として、あるいは副作用みたいなものとして、

 知識、技能が身につき、魅力ある人格が形成され、

 その結果として、それが将来につながるわけです。

 成果ばかり追求するのは愚かなことです。

 生きる力の育成というのは嫌なことを我慢する力でも、

 何かができるようになる技術の習得でもない。

 生きていて楽しいと思える子どもたちに育てることです。」

〇副作用を目標にする人はいないと村上先生。

 知識い技能を身につけさせるのは副作用との発言。

  

〇もうひとりの自分

 子どもを呼んですぐ近くで叱る→圧迫感が強くて言葉が子どもに伝わらない。

 教師は”もう一人の自分”

(レプリカ)を叱る。そうすると客観的に話が聞ける。

 

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〇ダンボールで作った実物大のレプリカを利用する。 実物を目の当たりにしてビックリ。

 このようなものを作ろうと思うことに感動。

〇漢字の読み・・・教師がレプリカを使って”できない”状態を示す。

 そうすると子どもたちはほっとけない。挑戦しようとする。

 自主性・自発性が生まれる。

〇自己との対話・・・レプリカがあるとできる。

 けんかした子どもが、レプリカと話すことで、自分からあやまるという結論を出した映像を見る。

 レプリカに話させる時には、レプリカの手を動かしていた。

※勤務校の研究でもキーワードになっている「自己との対話」

 レプリカとの対話はリアル(に近い)な自己との対話であった。

 レプリカはいろいろなことに利用できると思った。作ってみないとわからないことかも。

(次号につづく)

  

  

 

  

11月29日

TV【コズミックフロント 彗星の正体に迫る】(2013年11月25日放映)

※2012年6月7日に放映されたものの再放送

〇ラブジョイ彗星(2011年) 〇イオンの尾 〇ちりの尾 

〇宇宙の氷 アモルファス氷 熱伝導率 〇地球の氷 〇エドモンド・ハレー(1656~1742)

〇ハレー彗星 〇映画「空気の無くなる日」 〇探査機ジオット 〇探査機エポキン

〇ハートレー第2彗星 〇コズミックスノーストーム 〇百武彗星(1996年)

〇ヘールボップ彗星(1997年) 〇マークノート彗星(2007年) 

〇エッジワース・カイパーベルト 〇海王星トロヤ群  

 

2013年11月27日 (水)

まわり道をしたいから、テレビを見る

 

今日は11月27日。

  

下に最近見た番組を書いてみました。

※これらは全てBD-R、DVD-Rにダビングしたものです。

つまり、見た後にダビングせずに消してしまったものは書いてありません。

例えば今晩はドラマ「相棒」を見ましたが、下には書いてありません。

  

その中から「オトナへのトビラTV まわり道も悪くないパート2」について。

この番組のサイトには、番組でのやり取りがほとんど書いてあります。

オトナへのトビラTV まわり道も悪くないパート2

おかげで、聞き書きしなくていいので、実にありがたいです。

  

番組中に印象に残ったところを引用します。

  

(なだぎ武さんは)中学を卒業して就職するものの、

人に会うのがイヤになって仕事を辞めてしまい、部屋に閉じこもるようになります。

そして大好きなテレビを一日中見続けているうちに、俳優や芸人にあこがれていき、

いつかその世界に入ってみたいと夢を膨らませていきました。

そんなある日、以前近所のお兄さんからもらった大量の本やマンガのことを思い出します。

読み始めたところ、とても刺激的で、

頭の中に新しい世界が広がっていくような感じがしたそうです。

「同年代の子は高校に行って勉強しているので、

僕も何か頭の中に知識を入れないとダメだなと思って、もらった本の山を全部読もうと。

そこからですね、本を読みだしたのは。小説や漫画が僕の教科書でしたね。」

テレビや本に没頭するうちに、次第に外の世界に出ていこうという気持ちが生まれてきました。

そして、18歳のときに思い切ってあこがれていたお笑いの養成所に入ることにしたのです。

今では部屋で夢中になって見たテレビの記憶や、本やマンガの山から得た知識が、

芸やコントのネタを作るときなどに役立っていると言います。

「テレビや本の知識がネタの発想とか、ボケの発想とか、

キャラクターの発想とかにつながっているので、それが原点になっているんだという。

暗い3年間でしたけど、逆に今、照明を当ててもらっているのでありがとうございます。」

まわり道を経験したなだぎさんから、10代にメッセージをいただきました。

「こんなことをしていていいのかという思いがあるなら、

どんどんぶち当たってみて欲しいですね。

”まわり道が結局必要だった”とつながったりしますから。

何か自分が好きで没頭しているなら、そこからいろんな道が見つかるかもしれないので、

自信を持っていただきたいですね。

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なだぎ武さんの生きっぷりから生まれた言葉

好きで没頭しているなら、そこからいろんな道が見つかるかもしれない

自信をもっていただきたいですね

これが頭に残りました。

  

まわり道をしてタレントになったキンタローさんも似たことを言っています。

「今、目の前にあるワクワクすることや、無性にやりたいことから始めていけば、

どんどん新しい考えが出てくると思うんです。

最終的に自分のやりたいことを見つけて、“がんばってくだとぅあい”!」

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やりたいこと、没頭していることに自信を持ちたいです。

好奇心が日々湧いて、それにのめり込みたい気持ちと、

そんなことをしていていいのかという気持ちの狭間に揺れる日々。

もっともっと自分の好奇心を満たす時間を作り出したいと思う。

それが回りまわって教員の仕事にも生きると信じています。

もし好奇心を押さえ込んだら、つまらない自分、教員になってしまうでしょう。

だからテレビを見たい、本も読みたい、出かけたい。回り道したい。

  

  

 

 

  

11月18日

TV【サイエンスZERO 1億ボルトの驚異 雷の正体を探れ】(2006年7月18日放映)

〇雷 〇静電気

 

TV【にんげんドキュメント 白鵬 綱に挑んだ15日】(2006年7月28日放映)

〇大関白鵬 〇横綱朝青龍

 

  

11月19日

TV【美の巨人たち カイユボット ヨーロッパ橋】(2013年10月19日放映)

〇印象派

 

TV【発見!セピアの伝説 大阪通天閣付近】(2013年10月30日放映)

〇初代通天閣 〇2代目通天閣

  

 

11月22日

TV【アド街ック天国 大山・阿夫利神社】(2013年11月22日放映)

〇大山 丹沢 〇もとは雨降り神社

  

 

11月23日

TV【オトナへのトビラTV まわり道も悪くないパート2】(2013年11月14日放映)

〇有吉弘行 〇鈴木奈々 〇キンタロー 〇なだぎ武 

 

  

  

11月25日

TV【NHKスペシャル 病の起源 ③ うつ病 ~防衛本能がもたらす宿命】

(2013年10月20日放映)

〇防衛本能 〇うつ病 脳が委縮する 〇扁桃体の暴走 〇ストレスホルモン 

〇神経細胞が栄養不足になり脳が委縮する 

〇うつ病の要因 天敵 孤独 恐怖の記憶(思い出すたびに扁桃体を刺激する)

〇扁桃体と海馬との強いつながり 〇ブローカ野 言語をつかさどるところ

〇平等は扁桃体を刺激しない 〇文明社会が平等を崩した うつ病が多くなる 

 

TV【刑事のまなざし 第8話】(2013年11月25日放映)

  

  

  

11月26日

TV【ダーウィンが来た!生きもの新伝説 森を作る建築家 ビーバー】

(2010年6月20日放映)

 

TV【ダーウィンが来た 生きもの新伝説 悪役ハイエナ 意外な素顔】

(2013年9月22日放映)

  

  

  

11月27日

TV【地球・ふしぎ大自然 巨大ダムを作れ!森の建築家 アメリカビーバー】

(2005年10月17日放映)

2013年11月25日 (月)

人間ドッグ どうにか視力維持

 

今日は11月25日。

  

先日人間ドックを受けました。

毎回言われる高めのコレステロールは、今は薬を飲んで治療中なので、

悪い結果は出ないと思われます。

腹囲は思ったより減っていなくて残念。

減ってしまい残念なのが、身長。

ずっと174cmを信じてきた身長が、173、3cmを言われました。

小数第1位を四捨五入すれば、173cm。

実は昨年の夏に、別の病院での検診で173cmと言われたのが初めて。

今回とどめをさされた気分。年齢のせいで、縮んだ?

  

どうにかキープできたのが視力。

右目が不調。0.7付近も見えず。

しかし、だんだん回復して見えるようになり、1.5をどうにかクリア。

例年通り!

左目はすっきり見えて2.0。

私の体の中で最も自信アリは、やっぱり左目でしょう。

2013年11月24日 (日)

午前3時半起き/Run to You/墓参り/巻雲

 

今日は11月24日。

  

最近は、午後10時半前後に寝て(起きていられなくて)、

午前3時半前後に起きる生活。

いつもより1時間前倒しの生活でした。

3時半に起きて仕事をしないといけないというのは、けっこうプレッシャーでした。

なので、昨日(23日)の朝、午前3時半に目覚めて、

「お、今日は仕事をしなくてもどうにかなる日なんだ」とホッとして、

隣で寝ている奥さんに握手を求め、そのまま6時まで寝ていました。

やっぱり休みはありがたい。でも最近の生活は異常でした。

修正したい。

  

  

  

  

生活のBGMが、1119全体研が終わってから変わりました。

CD「Bare Bones」(ブライアン・アダムス)が手に入ったからです。

※参考:ここでも道草 「Crazy In The Night 」1985年に戻れる曲(2013年10月15日投稿)

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家のパソコンに入れて、自動車でも聴けるようにして、

さらには教室でも聴けるようにしました。

授業後に教室で仕事をする時にも聴けるようにしました。

聴きたいと思っていた曲の新録音が聴けて、幸せな気分です。

しかし、何か物足りない。大事な曲がない。

そうだ、「Run to You」です。この曲がない。それが残念。

youtubeで久々聞いてみました。

Bryan Adams - Run To You
YouTube: Bryan Adams - Run To You

本当に格好いいんだから。

しかし、このPVは古さを感じさせる作りです。

  

  

   

今朝は久々に母親のお墓参り。

2ヶ月ぶりです。

先日飲んだ人が、「1年前にお母さんと話したぞ」とビックリの話を教えてくれました。

5年前に死んだ母親と!

こりゃあ墓参りに行かないとなあと思いました。

今朝は父親を誘って2人で行きました。

今日までの好天気。小春日和でした。

※参考:ここでも道草 今日が木枯らし、明日が小春日和(2007年11月12日投稿)

お墓のある場所で、こんな雲に出会えました。

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巻雲(けんうん)でいいでしょうか。

図書館で借りてきた本「雲のカタログ」(草思社)には次のように説明してありました。

  

雲の中でもっとも上層にあり、低温のため水滴ではなく氷の粒(氷晶)でできている。

雲から氷晶が落下すると同時に上空の強い風に流されることで

離ればなれの繊維状の長い流線ができる。

一般には「ハケではいたような」と表現されることが多く、

特に秋・春は日本付近の上空を通過するジェット気流によって美しい巻雲が見られる。(16p)

   

  

雲が今、面白い。

  

  

  

 

2013年11月23日 (土)

東栄町に行ってきました/御園へ

  

今日は11月23日。

  

前投稿のつづき。

尾々へは、南から北上してたどり着いて、軒山を登りました。

下山後、尾々からさらに北上しました。

新任の地である御園へ行ってみたいと思いました。

細い道をくねくね登って、坪沢峠へ。

  

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ここからはかつて通勤に使った道路です。

  

御園の集落はすぐです。

遠くから眺めて帰ってきました。

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いいところでしょ。ここが私の新任の場所。

初心に戻れる場所です。

自宅から1時間45分かかりますが、たまにはこうやってやってきたい場所です。

2008年に御園について書いていました。

※参考:ここでも道草 1985年を思い出す場所へ(2008年11月3日投稿)

もうあの時から5年がたつんだなあ。

  

  

新任で住んだ教員住宅だったところにも行きました。

私が住んだ時にはまだまだ新しい家でした。

おそらくできてから数年でした。

もう30年たったわけですが、まだまだ十分新しい見かけです。

その後住んだ人たちの使い方がいいのでしょう。

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ピンクの矢印のところに車をとめていました。

ヘトヘトになって帰ってきた時に、

ここに車をとめたのですが、下車する気力がなく、

そのまま運転席で寝てしまい、朝を迎えたこともありました。  

そんなことを思い出しました。

  

過去に浸って、リフレッシュできました。

また明日から仕事を頑張る。

 

東栄町に行ってきました/尾々から軒山登山

  

今日は11月23日。

  

東栄町に行ってきました。

東栄町に行って、「こんなに楽しい愛知の130山」(あつた勤労者山岳会編/風媒社)の

130山のうち72番目の山を登ってきました。

  

山の名前は「軒山(のきやま)」716、9メートル。(717mでもいいじゃないかな)

東栄町の尾々(おお)と呼ばれる小さな集落から登る山です。

新任から5年間過ごした東栄町でしたが、この尾々は2回だけ訪れました。

新任の年1985年に、誘われてどこかの家で飲みました。

もう誰に誘われて、誰の家で飲んだかも忘れました。

もう1回は、同じ年。

新任の学校からの夜の帰り道、山崩れで道路がふさがれていました。

(もう少し早いタイミングで帰路についていたら、巻き込まれていた可能性アリ(^_^;) )

その時に回り道で尾々の集落を通過した覚えがあります。

それから30年近い月日が流れ、尾々にやってきました。

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↑「こんなに楽しい愛知の130山」より

   
「尾々」という集落名。

「おお、こんなところに!」の「おお」ではないかと思ってしまいます。

北からも南からも自動車で行けますが、

道が細く、本当にたどり着けれるのか不安な道です。

  

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軒山は上↑の写真に載っています。一部アップにします↓

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さあ登るぞ。

「こんなに楽しい愛知の130山」の記述を参考にしました。

ちなみに1998年12月に踏査した結果からの記述です。

15年前の記述が今も通用するかも私が注目したいところです。

  

道路脇に車1~2台のスペースがある(地図より)

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ここだと思います。

地図通り、スペースがありました。

    

   

登り口はこの家(集落の入口の家)の北側から裏を巻き南方向に登る。

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↑上の写真の左手にあるのが「集落の入口の家」と思われます。

北側に行って登山口を探しました。

あった、あった。これが登山口↓

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途中西の足込地区へ下りる道と分岐するが左へ登る。

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これは分かりにくかったです。

これが分岐の写真です↑

右手の登り道が足込(あしこめ)への道です。

軒山への道は左手。小屋の横を通ります。

  

   

スギ木立の中を行くとすぐに峠に着く。

北側に馬頭観音の石碑がありその先には鉄塔がある。

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峠らしき場所に着いたが、馬頭観音が見つからない。

よく見ると馬頭観音らしき石の塊を発見。もしかして馬頭観音は倒れている?

よけいなお節介で、馬頭観音らしき石の塊を立てようとしてみる。

最初は片手でやろうとして、重くてできず。思ったよりズッシリである。

両手で立ててみると、やっぱり馬頭観音でした。

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なかなか美女な顔の観音です。

「愛知の130山」の記述通りの写真をめざしました↓

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馬頭観音の石碑がありその先には鉄塔がある」決まった!

  

     

    

南前方には伐採したスギを運び出す集材リフトが尾々へと延びている。

う~ん、このリフトは見つからなかった。

  

そのまま南へ登ると下から見えた反射板が立っている。

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「愛知の130山」の記述には、2~3年前にできた反射板と書いてありました。

つまりできて17~18年たった反射板ということです。まだありました。

   

三角点のある頂上はそこからすぐだ。

周りはきれいに伐採され・・・

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15年の月が流れて、頂上からの展望はありませんでした。

頂上を通過してしばらく下ったところに、伐採した場所がありました。

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鉄塔のために伐採した場所でした。

15年前の記述には、この鉄塔は登場しませんでした。

ここからの眺めがよく、太い木の切り株の上で昼食を食べました。

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コンロを忘れていて、カップラーメンは諦め。

コンロを忘れるなんて、危なっかしいです。反省。

パンとおにぎりを持っていたので、よかったです。

  

↓尾々の集落が手前。向こうに見えるのは新任の場所である御園でしょうか?

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下山。

赤白の鉄塔の脇を通り抜けて・・・

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この赤白の鉄塔は健在でした。

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↑町道に出たところ。ここがこちら側の登山口。

短い登山でしたが、東栄町の中でもなかなか奥深い尾々の集落に再訪し、

そこから山に登ることができました。

別世界を散歩した気分です。面白かった。(つづく) 

 

8月の大山登山の続き

  

今日は11月23日。

  

前投稿に続いて、丹沢・大山登山報告。

登ったのは8月18日。

  

登山道の写真を載せます。

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これは「夫婦杉(めおとすぎ)」

木の根元にあった看板をよく見て、よくわからない字がありました。

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「左右円?形の巨木」

「円」に似ていますが、よく見ると”けいがまえ”「冂」に「人」のようにも見えます。

写真も少しピンボケなのが残念。

もっとしっかり撮ればよかった、あるいはよく見てくればよかったと後悔しています。

「円形」「同形」?    家にある漢字辞典では解決できませんでした。

    

   

   

  

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「牡丹(ぼたん)岩」

足元をよく見てわかりました。

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天狗の鼻突き岩

石段左側の岩にある、拳が入るくらいの穴のこと。

これは天狗が鼻を突いてあけた穴だといわれている。


とのこと。穴には1円玉や10円玉が入っていました。

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誰が霊験を感じて始めたのでしょう。

ただ鼻を突っ込んだ穴ですよ。

  

  

  

  

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十六丁目追分の碑

この碑は、一七一六年に初建され総高三米六十八センチメートルもあり、

江戸期の大山信仰の深さをしめしている。

この石は麓から強力たちが担ぎあげた。

大山観光青年専業者研究会

  

大山阿夫利神社下社が1丁目であり、

頂上が28丁目でした。

16丁目はひと息つくにはいい場所でした。

ベンチに座って休みました。

    

   

  

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25丁目。

ヤビツ峠からの道と合流するところ。

   

  

  

  

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けっこうきつい坂でした。

看板の古さからして、遠い過去からの励ましですが、

うれしかったですね。

あと10分。

ふだんの生活の10分に比べると、格段に長い10分でしたが・・・。

  

  

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着いた!

久しく登山をしていないと、バテます。

でも頂上に着くと、そのたいへんさも吹っ飛びます。

  

   

  

頂上での景色。(遠景は全く見えず)

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缶コーラを飲みました。

350ml缶ではなく280ml缶でした。

せめて350ml缶にしてよと思いつつ、でもうまかった。

やりとげた後の冷たい飲み物はうれしい。

本当は生ビールがいい。しかし、この後東京まで運転だからあきらめました。

  

  

 

下山

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大山阿夫利神社下社に下る階段。

登りもたいへんでしたが、下りも神経を使います。

手すりはちゃんと持ちます。

  

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大山阿夫利神社下社からの眺め。

  

   

  

  

下山はケーブルカーを使いました。

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再びお店のあるアーケードを通過。

何も買わずに申しわけない気持ちでした。

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大山頂上で、日帰り温泉のチラシを配っている人がいました。

汗びっしょりの登山客でにぎやかだった頂上でのチラシ作戦は、きっと効果あり。

私は当初行く予定だった温泉をやめて、

いわば一緒に登った同朋が教えてくれた温泉に行きました。

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先着100名に間に合ったのか、ペットボトルもいただきました。

  

  

以上が大山登山報告でした。

  

  

  

   

登山した日の晩は東京ホテル泊まり。

近所にあったお店。

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地元の市名が入った店名。

なぜこの名前になったのだろう?

講座とセットの登山2.8月の大山(おおやま)

今日は11月23日。

  

前投稿の「黍生」に続いて「講座とセットの登山」について書きます。

  

8月19日に東京で講座がありました。

※参考ここでも道草 夏の研修12 HPで実践を広める(2013年8月26日投稿)

その前日に神奈川県伊勢原市にある丹沢・大山に登りました。

丹沢山系の山には登りたいと思っていたので、いい機会でした。

  

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自宅を出発して、麓の駐車場に着いたのは午前9時。

その駐車場にあった看板。

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いくつもある駐車場。満車が多し。

にぎやかな登山になりそうです。

  

さあ歩き始めました。

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細い舗装された道路やコンクリートの道を歩いていくと、

お店のあるアーケードも通過しました。

この山は観光地です。

  

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黍生と同じく、いやそれ以上に暑い日だったので、

木陰の道は快適でした。

  

男坂と女坂の2通りのコースがあるそうで、

男坂で行こうと思っていたら、いつの間にか女坂を登っていました。

女坂には「女坂の七不思議」というのがありました。

いくつか紹介します。

  

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女坂の七不思議 その二 子育て地蔵

最初は普通のお地蔵様として安置されたが、

何時の頃からか顔が童(わらべ)に変わっていた。

この地蔵に祈ると子供がすくすくと丈夫に育つといわれる。

大山観光青年専業者研究会

  

どれどれ、童の顔か確かめてみようと、近づいて見てみました。

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確かに健康そうな子どもの顔だと思いました。

  

  

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女坂の七不思議 その三 爪切り地蔵(つめきりじぞう)

弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で

彫刻されたと伝えられている。

何事も一心で集中努力すれば実現できるとの教えである。

大山観光青年専業者研究会

  

  

面白いエピソードである。

そこから教訓につなげてしまうのが楽しい。

  

   

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女坂の七不思議 その五 無明橋(むみょうばし)

話をしながら通ると、橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、

悪い事が起きたりするという。

大山観光青年専業者研究会

   

一人登山なのでお話もせずに通過しました。

  

  

   

中腹ぐらい、大山ケーブルカーでもやってこれる場所に

大山阿夫利神社という大きな神社がありました。

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偶然ですが、今晩の番組「出没!アド街ック天国」(午後9時~)ではこの神社のことをやります。

行った場所のことなので、「ザ・テレビジョン」を見ていて、アンテナに引っかかりました。

今回は大山登山がメインだったので、神社はほとんど素通りでしたが、

偶然を大切にして見てみたいと思います。

  

  

大山阿夫利神社の片隅にこんな像がありました。

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「輝け杉の子」というタイトル

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説明を読んでみました。

戦時中、空襲が激しくなってきた川崎市から大山のの麓に、

子どもたちが疎開してきたようです。

こう書いてあります。

 

(前略)この像は、名状し難い困苦の中から祖国の再建を期する当時の幼い子らの姿を現し、

困難な中で引き受けられた全地域の方々への感謝と平和への誓いをこめて

当時の児童教職員、現教職員、一般市民、そして川崎市の協力によって

疎開解散40周年を記念して建立した。

製作者は圓鍔(えんつば)元規氏である。

最後に、当地で爆死した米須清博君の霊の安からんことを切に祈る。

昭和60(1985)年8月15日

川崎市学童疎開記念碑建設実行委員会

   

圓鍔元規さんは、川崎市出身の彫刻家。

お父さんの圓鍔勝三さんも有名な彫刻家のようです。

気になったのは疎開地で爆死した米須清博さんのこと。

少し調べたら、ヒットしました。

文芸評論 白木恵委子「将棋の駒をにぎりしめて」 

林計男(かずお)さんの書かれたサイトです。

清博さんが爆死したときは、友達と将棋をしていた時で、

亡くなった時には、手に将棋の駒を握りしめていたそうです。

作家の白木恵委子さんが、この清博さんの死を童話にしているそうです。

白木さんのお父さんも有名人でした。

「かわいそうなぞう」を書いた土家由岐雄さんでした。

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なかなか頂上に行けず。次の投稿につづく。

 

 

  

 

 

  

 

2013年11月22日 (金)

講座とセットの登山1.4月の黍生(きびゅう)

今日は11月22日。

  

以前登ったのに、このブログに記録がされていない登山のことを書き留めておきます。

  

2つの登山を書きますが、ともに講座に行ったついでに登ってきました。

1月に登った氷ノ山も、思い出せば講座のついででした。

※参考:ここでも道草 兵庫での2日間7・・・氷ノ山登山前夜(2013年1月21日投稿)

  

4月29日。

この日は午前中に講座がありました。場所は豊田市。

※参考:ここでも道草 教え方セミナー~特別支援教育の基本を学ぶ~その1(2013年4月30日投稿)

午前中だけだったので、午後は近くの山に登りたいと考えました。

参考にしたのが「こんなに楽しい愛知の130山」(あつた勤労者山岳会編/風媒社)です。

130のうちの71番目として選んだのが、

足助にある黍生(きびゅう)という変わった名前の山です。

   

写真で紹介します。

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自動車をとめて、登山口に向かいます。

  

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登山口です。看板部分を拡大します。

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「黍生山頂/黍生城跡」とあります。

お城があったのですね。

  

ぐいぐい登りました。

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確かすごく暑い日でしたが、山の中は木陰のおかげで快適でした。

  

頂上です。

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お城があったことを説明する案内板がありました。

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山の名前が書かれた大きな木の札も目につきました。

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この山の名前の書を書いた人が「俊美」さんなのでしょう。

「黍生山」と堂々と書いてありますが、「黍生」が正しいように思えます。

「黍生」だと山の名前のように思えないとは思いますが。

  

頂上はけっこう広いです。さすがお城があっただけはあります。

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下山しようとしたら、記念碑を見つけました。

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豊田市立追分小学校。黍生の麓にある学校でした。

それにしても立派な記念碑です。

ちょっと立派すぎないか?と突っ込みたくなります。

でもきっといい登山だったのでしょう。

こんな記念碑を立てるくらいですから。

  

  

この登山では、花の写真もたくさん撮りました。

それはすでに「H25 4月の花々」シリーズでブログに載せたので、今回は省略。

2013年11月20日 (水)

1119全体研5.終了→課題/「どっちーぬくん」

 

今日は11月20日。

  

「1119全体研」というタイトルを掲げて、自分に発破をかけて臨んだ研究授業。

どうなったか?

特別支援学級の難しさを味わった時間でした。

たくさんの先生が教室に来て見るという環境は、

子どもにとって平常心ではおられなかったようです。

小パニックのようになってしまいました。

自分がやろうとした流れの半分でストップしてしまいました。

 

  

10回ほど協議してもらった指導案は、ちょっと自信がありました。

単元に入って、子どもの実態がわかってきたら修正、修正。

無理をせず、実態に合わせてきました。

本時は7時間完了の6時間目。

直前まで、何かいいアイデアはないか頭をひねっていました。

  

小パニックになることは、ちょっとは予想していました。

親が参観したときには小パニックになっていました。

わかっていたけど、前時まで繰り返してきた授業パターンに乗せられると

期待していたところがあるでしょう。甘かった。

   

来年度の11月。

勤務校は研究発表校で、多くの参観者が来ます。

その中で、今の学級で授業をする可能性があります。

今のままでは、同じことが起こってしまいます。

見られても、子どもたちが平常心に近い状態で受けられる授業。

なかなか大きな課題です。でも挑戦したい。

きっとそこまで行ったら、自分の授業力も上がった証だし、

子どもたちも成長したことになると思う。

  

   

  

   

もし子どもたちが平常心でなくなたらどうするか?

最終手段を考えていました。

本です。読み聞かせをすることです。

全体研では、その最終手段を使ってしまいました。

用意していた本は、「どっちーぬくん」(よこやまただし作/鈴木出版)

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我がクラスで、読み聞かせは効果が大きいです。

急速に平常心に戻してくれます。

この本も良かったです。前日に決めて、教室の戸棚に用意しておきました。

読み聞かせで平常心に戻りましたが、残り時間は5分。

授業の立て直しはできませんでした。

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