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2013年5月11日 (土)

「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」を見た その1

 

今日は5月11日。

 

次の投稿で紹介した番組を見ました。そのことを書いてみます。

ここでも道草 今晩、辞書の番組あり (2013年4月29日)

 

4月29日放映の「ケンボー先生と山田先生~辞書に人生を捧げた二人の男~」を見ました。

またまたいい番組でした。

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「二人の男」とは

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見坊豪紀(ひでとし)  「三省堂国語辞典」の編集中心人物

 

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山田忠雄   「新明解国語辞典」の編集中心人物

 

 

「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」は同じ三省堂の辞書ですが、

それぞれに特徴がありました。

 

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「三省堂国語辞典」は、積極的に現代語を掲載。客観・完結解説。

「新明解国語辞典」は、伝統を重んじる慎重派。主観・長文解釈。

このような特徴を持ったのは、それぞれの中心人物である

見坊豪紀、山田忠雄の考えが反映されているからです。

それは後で書くことにして、そんな二人が、最初は同じ辞書作りを手がけていました。

それがこの辞書。明解国語辞典です。

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二人は、この辞書の編集で力を合わせ、

昭和18年(1943年)、戦時中に出版にこぎつけました。

新しい工夫がなされていて、よく売れた辞書でした。

 

「明解国語辞典」第2版が昭和27年(1952年)に出版されました。

その時に、山田忠雄の助言で「主食」が初めて辞典に載りました。

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そのことについて見坊豪紀は後にこう書いています。

 

主食を知らない人は一人もいないだろう。

 ところがこの「主食」は久しい間、国語辞典には欠席していた。

 

見坊豪紀は山田忠雄を助手のように扱っていた(扱っているように見られた)が、

この「主食」に関する山田の助言は印象に残ったようです。  

 

(次の投稿につづく)

 

 

 

 

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