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2013年1月

2013年1月30日 (水)

「お前」は尊敬語だった

  

今日は1月30日。

  

前投稿の「お前百まで わしゃ九十九まで」が気になります。

調べてみました。

「お前」が、夫が妻を呼ぶ時のように思えます。

失礼ながら男尊女卑っぽい発想です。

この「お前」がくせものでした。

「お前」は古くは、目上の人に対する、尊敬語(そんけいご)として使っていました。

妻が夫を呼ぶ時に使われていたそうです。

だからこの「お前百まで わしゃ九十九まで」は妻から夫への言葉というわけです。

この後に、「ともに白髪が生えるまで」と続き、

末永く夫婦仲よく暮らしたいという気持ちを込めた言葉です。

  

なぜ「百」「九十九」と1歳違いなのでしょう。

これについて触れたサイトがありました。

故事ことわざ辞典   

引用しちゃいます。

  

が百才で妻が九十九才についての解釈は二通りあり、

一つは相手に先立たれることによってさびしい思いをしたくないから

自分より先に死なないで欲しいという願いを込めたもの。

もう一つの解釈としては、昔は姉さん女房をもらうことが喜ばしいとされていたことから、

一つ年上の妻と結婚した夫の場合、夫が百才、妻が九十九才で夫婦が一緒に最期を迎えられるというもの。

   

後半の説はいいなと思いました。

一緒に最期。「天地明察」の主人公夫妻の世界です。

 

  

 

 

日めくりより・・・猫の首に鈴/わしゃ九十九

 

今日は1月30日。

 

昨年の日めくりより。

このブログに書き留めておきたいものがあります。

捨てるのは惜しい・・・・・   

 

EPSON159

猫の首に鈴

この言葉のいわれは、イソップ物語だったのですね。

次のサイトから引用。※瑠璃の壺 イソップ説話(6)猫の首に鈴

 

鼠たちが会合を開いた。恐るべき敵である猫に戦々恐々としているのには飽き飽きした。

せめて、奴がやって来るのを前もって知ることは出来ないだろうか。

そうすれば、逃げる時間ができるのだが・・・ 実際、どうにかせねばならぬ。

奴の爪を恐れて、昼も夜も、うかうかと寝倉から出ていくことも出来ない。

  

だが、とうとう一匹の若い鼠が立ち上がって、こう言った、

「とても単純な考えに思われるかもしれないですが、役には立つはずです。

猫の首に鈴を付けるのです。鈴の音が聞こえたら、奴がこちらにやって来るという合図です」

居合わせた鼠たちは、これまでにそのことを誰も思い付かなかったことに驚いた。

皆が喜びに沸き返っている時に、ある年老いた鼠が立ち上がって、こう言った、

「まるほど、先程の案は素晴らしいものじゃ。

ところで、ひとつお尋ねするが、一体誰が猫の首に鈴を付けるのじゃ?」


- 言うは易く、行うは難し。    

   

みんなが思いつかないことに気がついたのはいいと思います。

それがこのねずみの才能。

今度は猫に鈴を付ける才能を持つねずみの出現に期待したいですね。      

  

   

    

EPSON163

お前百まで わしゃ九十九まで

「お前」が夫で、「わしゃ」が妻。

本当かな?

女性の方が平均寿命が長いから逆じゃないの?

我が夫婦も3月で結婚25周年。いつの間にかこんな月日が流れました。

私たちが結婚した時の親の年齢に近づいてきたことに最近気がつきました。 

あれあれ。中身はそんなに変わっていないのになあ。 

 

2013年1月28日 (月)

あいさつ運動の幟ができた

 

今日は1月28日。

 

思いついたことが実現することはやっぱりうれしい。

そんな体験が出来た日です。

 

生活委員が朝の校門に立ってあいさつをしています。

1学期からずっと。

雨の日でも雪の日でもやっています。

やらなかったのは、雷が鳴っていた日。

 

生活委員は、緑のビブスを着て立ちました。

こんなのです。

070905021
これは子どもたちにはあまり好評ではありませんでした。

やっぱりこれはスポーツの練習着です。

冬になって厚着になると着にくくなってしまい、ますます不評でした。

 

ビブスに変わるものはないかといろいろな人に相談。

腕章やネッカチーフのアイディアももらいましたが、

これはいいと思ったのが幟(のぼり)でした。

 

幟づく入りのスタート。

中学校の美術の先生に相談して、

幟を作る業者を教えてもらい、さらにデザインもお願いしました。

 

動き出して2ヶ月ほど。

今日、その幟ができました。全部で6本。

写真を載せます。

RIMG0062.jpg道草用

RIMG0057.jpg道草用

午後4時に学校に届けてくれることになっていましたが、

実際に届いたのは4時25分。この25分が待ち遠しかったです。

明日のあいさつ運動から、子どもたちが持ちながらあいさつをします。

桃太郎のような感じになるのかな。

 

簡単に壊れないように、竿を強化してもらいました。

いいでしょう!

明朝は校門がにぎやかになるぞ。

 

 

2013年1月27日 (日)

H25 1月の花々2/ロウバイ2

 

今日は1月27日。

 

RIMG0022 (2) 1月26日(豊川市)

RIMG0024 (2)

RIMG0027 (2)

ロウバイ(蝋梅)

前回はここ→※6月中旬の花々13/ロウバイ他

この時は実の話でした。

今回はいよいよ花です。

6月に撮影した同じ木です。向かいの家の庭にある木です。

 

このロウバイの写真を、花カメラにうんと久々に投稿してみようと思います。

しばらく縁が遠のいていた花々シリーズが少しずつ復活です。




H25 1月の花々1/アンズ・サクラ・ウメ

 

今日は1月27日。

 

11月27日以来の「花々」シリーズです。

9月の花々14/ホンアマリリス・ヒガンバナ・コミカンソウ(2012年11月27日投稿)

9月が完結していないし、10~12月は全く書いていませんが1月をスタートさせてしまいました。

 

勤務校にアンズ(杏)があることを知ったのは昨年のこと。

それまではウメだと思っていました。

3年前には、ウメだと思い込んで観察しています。

今日にでもウメの花が咲きそう(2010年2月26日投稿)

しかし、アンズです。

3年前は2月26日・27日で咲いたようです。

今年はどうなるか?

定点観察を子どもたちに呼びかけてスタートさせたのが、1月24日。

その日の写真です。

RIMG0255.jpgnanasi 1月24日(豊川市)

アンズの木

 

RIMG0282 1月24日(豊川市)

アンズの冬芽(ふゆめ)

 

同じ1月24日のサクラの冬芽です。

こちらはまだまだ。

RIMG0280 1月24日(豊川市)

 

 

アンズ、サクラときたら、忘れちゃいけないのがウメ

勤務校の玄関前にあるウメの冬芽です。

もう冬芽というより、つぼみですね。

RIMG0318

RIMG0316 1月27日(豊川市)

まもなく咲くでしょう。

咲いたらまたブログに載せたいです。

 

まだまだ寒いけど、でも早くも春が来てますよ。

冬でさえもあっけない。

「ヒストリア 天文」より7・・・星々の誕生を待つ

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)から。

いよいよラスト。

 

山形県のアマチュア天文家板垣公一さんが紹介されていました。

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超新星を今までに70個も発見しています。

これは世界4位の記録です。

毎晩夜空を見つめ、星々が誕生する瞬間を待ち続けているそうです。

その待ちっぷりがすごい↓。

RIMG2174

 

以上で、「ヒストリア 天文」シリーズ終了。

「ヒストリア 天文」より6・・・900年前の星の輝き

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

 

この話も、ぜひここに書き留めておきたい内容でした。

 

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1958年。オランダの天文学者ヤン・オールトは、

かに星雲から、これまで観測されたことがない電波をとらえました。

それは古い星が爆発し、そこから新しい星が誕生する超新星爆発を示す証拠。

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星の誕生のナゾに迫る世界で初めての発見でした。

 

この発見の手がかりになったのが、ある日本人の日記でした。

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最近の日本人ではありません。

藤原定家(1162~1241年)です。

彼の書いた日記「明月記」に次の記述がありました。

 

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(1054年)4月の中頃のこと。東の空 天関星(てんかんせい)の付近に明るい星が現れた。

 

この記述が手がかりになりました。

天関星があるのはカニ星雲のある方向であったので、

調べてみてわかりました。

900年前の星の輝きが、星の爆発であることを解明したのです。

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時空を越えた、なんと雄大な話ではありませんか。

 

ここで疑問。

1054年は定家が生まれる前のことだぞ?

調べてみました。

「明月記」には、定家自身の体験に基づかない記述もあるそうです。

伝わってきた内容を書き留めたということです。

これが貴重な資料になりました。

 

 

 

 

「ヒストリア 天文」より5・・・水沢の観測所と宮沢賢治

 

今日は1月27日。

 

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

1900年。地球の自転軸のズレを解明するために、

国際共同天体観測が行われることになりました。

北緯39度8分にある場所で一斉に天体観測することになりました。

この共同観測に日本も参加することになり、

水沢(岩手県奥州市水沢区)に観測所が作られました。

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日本は天文学者木村栄(ひさし)さんを中心に観測を行い、

事業を成功させました。

 

この水沢にあった観測所を訪れた作家が、

宮沢賢治(1896~1933年)でした。

訪れたのは大正13年(1924年)のこと。

その1年4ヶ月前に最愛の妹を失っていた宮沢賢治。

悲しみを抱えながら、望遠鏡で暗闇に輝く星を観察したそうです。

その数ヵ月後に、賢治は「銀河鉄道の夜」を書き始めます。

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つまり名作の誕生のきっかけになった観測所だったのです。

この偶然の重なりがいいなと思いました。

観測所について調べました。※参考:Wikipedia 水沢VLBI観測所

宮沢賢治に関する記述を引用します。

 

花巻農学校(現・岩手県立花巻農業高等学校)の教師をしていた宮沢賢治が、

たびたび水沢緯度観測所を訪れており、数々の名著の構想を育んたとされる。

童話『風野又三郎』(『風の又三郎』の先駆作品の一つ)には水沢緯度観測所の一文が書かれ、

『銀河鉄道の夜』の題材のヒントになったとされている

(『風野又三郎』では、水沢緯度観測所でテニスに興じる「木村博士」が登場する)。

旧緯度観測所の本館を保存した奥州宇宙遊学館では、

「宮沢賢治と緯度観測所」として、賢治とこの地方の関わりについてたどっている。

また、賢治をモチーフとした「又三郎」がマスコットキャラクターとして使用されている。

 

う~ん、今度は「風の又三郎」に興味を持ちました。

昔読んだような・・・・気のせいだったかな。

でも観測所のことは覚えがないので、また読んでみたい。

ちなみに下は奥州宇宙遊学館のマスコットキャラクター。

Mat6 Ma13

 

 

 

 

 

 

「ヒストリア 天文」より4・・・渋川春海

 

今日は1月27日。

 

「ヒストリア 天文」の続編。1月15日の投稿のつづき。

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

 

映画「天地明察」のレンタルが始まるのが2月2日

迫ってきました。

RIMG2156

 

この「歴史秘話ヒストリア」でも渋川春海が扱われました。

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江戸時代のはじめ、日本では10種類もの暦が使われていて、

日付がバラバラでした。

なぜそんなに暦があったかというと、

大元の暦が不正確だったためです。

日本では宣明(せんみょう)暦という中国の暦を使っていました。

この暦が日本に来たのは平安時代。

800年の月日がたつ間に、誤差が積み重なり、

不正確になったというわけです。

人々は宣明暦を信用せずに、それぞれ独自の暦を作っていたので、

混乱が生じていました。

 

1667年、幕府は暦の統一に乗り出します。

その任についたのが渋川春海でした。

渋川春海が見つけ出したのが、400年前に中国で作られた授時(じゅじ)暦でした。

 

授時暦は、宣命暦よりもすぐれていましたが、

それでも日食の予想が外れてしまいました。(延宝3年5月1日)

RIMG2157  RIMG2158

春海は日食なしと予想しましたが、日食が起こってしまいました。

   

春海はなぜ外れたのか長く検討して(8年)、

やはり授時暦も中国の暦であるため、日食であることを外したと結論を出しました。

日本独自の暦をつくることが必要と考えて、暦づくりに取り組みました。

RIMG2159

 

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1863年、春海は暦を完成させました。

この暦は、日本の統一された暦に採用され、初の国産暦となりました。

 

春海が作った暦には、今に残る言葉も書かれていました。

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八十八夜(はちじゅうはちや)」

 

RIMG2162

二百十日(にひゃくとうか)」

 

今回書いたようなことが、映画「天地明察」で描かれているわけで、

楽しみです。2月2日と言えば来週の今日。もうすぐだ。

 

2013年1月26日 (土)

原哲男さん、亡くなる

 

今日は1月26日。

 

午前中、冷たい北風の逆風の中、自転車で床屋さんへ。

20分ほど走りました。

帰りは追い風。気持ちよく帰ってきました。

いつも冬はこうですね。

北風が吹いていても自転車で行こうと思えるうちは、

まだまだ自分は大丈夫。

 

 

1月11日に、吉本新喜劇の原哲男さんが亡くなったというニュースを知りました。

78歳。肝ガンだったそうです。

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原哲男さんといえば、花紀京さんでした。

2人の掛け合いは楽しかったです。

花紀京さんは1937年1月生まれだから76歳。

今はどうされているのだろう。

岡八郎さんも思い出します。

浜裕二とか中山美保とか出ていたあの吉本新喜劇。

あれはいつ頃だったのだろう。

1980年代くらい。

つまり私が20代だったころかな。

その頃は土曜日の放映だったか?日曜日だったか?

そんなことも忘れています。

今はずっと土曜日の昼0:00からの放映。

 

原哲男さんが吉本新喜劇を抜けているのが1990年。

もう20年以上が過ぎています。

月日がいつの間にか流れているんだなあと思いました。

 

ちなみに今日の昼の吉本新喜劇より。

関西地方では昨年12月22日に放映されたものだそうです。

だからクリスマスネタ。

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今日の主役は辻本茂雄。



 

 

 

 



 

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