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2010年1月

2010年1月31日 (日)

1500本目の投稿・・・ライアン・ホワイト その3

1500本目の投稿。一つの区切り。

2か月で100本前後書ける今の環境に感謝。

   

(前投稿のつづき)

ライアン・ホワイトの死を悼んだマイケル・ジャクソンも今はいません。

エルトン・ジョンは、現在62歳。

本「エイズと闘った少年の記録」(ポプラ社)の中で、ライアンの次のような言葉があります。

「エルトンは僕にキスをしたり、ハグをしたり・・・僕が口にしたコーラもエルトンは平気で一緒に飲んでくれたんだ」

偏見が多い時代に、エイズは簡単には感染しないことを身をもって証明したのがエルトン・ジョンでした。

ライアンの葬儀では、エルトン・ジョンは「スカイライン・ピジョン」(地平線の鳩)という曲を歌います。

さらに追悼曲として「ザ・ラスト・ソング」を作曲したそうです。

1992年発売のアルバム「ザ・ワン」に入っている曲。

アルバムについて調べると、

「矯正施設に入り、ドラッグや酒への依存を克服したエルトンの復活を告げる傑作と言われるアルバム」(Wikipedia)

とありました。

エルトン・ジョンにとって、ライアン・ホワイトと交流があった1980年代後半は、

精神状態が良くない大変な時期だったようです。

それなのに、ライアン・ホワイトの前に現れたエルトン・ジョンは頼もしい。

    

   

葬儀の時の歌を見ることができます。

   

YouTube: Elton John Skyline Pigeon 1990

   

   

いつか授業で、ライアン・ホワイトのことを教える時があるでしょう。

その時は、ここに戻ってこよう。

   

   

   

エイズと言えば、映画「マイ・フレンド・フォーエバー」を思い出します。

1995年の映画。

中学校に当時勤務していて、エイズのことをこの映画を使って教えました。

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主演の一人エリック役をやったブラッド・レンフロは、2008年1月15日に死去。

死因は、ヘロインの過剰摂取。残念。

※当時、ブログに書いていました。http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/01/post-c314.html

エイズ患者デクスター役のジョゼフ・マゼロは現在26歳。

映画ではエリックが、デクスターの死を看取るが、

実生活ではエリック役のブラッド・レンフロのあまりに早すぎる死。

母親役のアナベラ・シオラの感極まっって泣くシーンは忘れられません。

   

ライアン・ホワイト その2

(前投稿のつづき)

エイズと闘った少年の記録」(ポプラ社)には次のような文章がありました。

   

テレビのレポーターに聞かれたことがあった。

「きみのいちばんの友だちはだれですか?」

ぼくはほんとうのことを答えるしかなかった。

「だれもいません」ってね。

だからぼくは、友だちがほしかった。でも、ハミルトン・ハイツの人たちは、

「ライアンはエルトン・ジョンの友だちだから、ほかに友だちなんかいらないだろう」

と思うかもしれない。

有名になるっていうのは、ときにはエイズ以上の孤独を意味することもあるんだ。

ぼくが有名だから近づいてくるやつもいるかもしれない。

だけど、だからといって家でテレビの前にすわっているだけじゃあダメだと思うんだ。

自分から動かなければ、何も変わらないよ。

だからぼくは外に出て、みんなに話したいと思った。

みんなエイズというのは汚いものを表す言葉だと思っている。

そうじゃない、ただの病気なのに。

ココモにいたときに、ぼくはわかったんだ。

みんなぼくを嫌っているわけじゃない。

ぼくの病気を嫌っているだけなんだ。

親は自分の子どものことを心配するしね。

ぼくだってはじめはこわかったよ。

はじめて自分がエイズだと知ったときはね。

だから、ぼくはするべきことを考えた。

おとなたちが医学的事実を無視するなら、ぼくは子どもに話をしよう。

おとなたちの頭はこりかたまっているけれど、

子どもは柔軟な頭を持っているんだ。

もしかしたら、家に帰って親の考えを正してくれるかもしれない。(146~147p)

    

ライアンがやったことは、この考えをベースにしていたんだなと思います。

この本の中に出てくるマイケル・ジャクソンは、

マスコミが言うような奇行を行う人物ではなく、誠実な人物です。

そしてこれが本当のマイケル・ジャクソンなのでしょう。

マイケル・ジャクソンはライアンのことを歌った「Gone Too Soon」(「あまりにも早く去った」の意味)を発表し、

1992年に出版した自著『ダンシング・ザ・ドリーム』(Dancing the Dream)にも

「ライアン・ホワイト」という題の詩を書き残しています。

インターネットはありがたい。

曲も詩も見ることができます。

   

   

   
   
詩「ライアン・ホワイト」

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ライアン・ホワイト

今日は1月31日。

実は今住んでいる町の最終日。

明日(2月1日)、合併で豊川市に含まれます。

子どもの時から住んでいる町の最終日。特別な日。

     

「おもしろ健康百歌」のCDについて以前書きました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/01/post-e91c.html

「かみかみロックンロール」という曲について書きましたが、

同じCDの中に「気になる曲」があったと書きました。

ライアンの翼」という曲です。

ライアン・ホワイトという少年のことを歌った曲でした。

   

私はライアン・ホワイトのことを知らなかったです(もしくは忘れていました)。

1971年12月6日アメリカに生まれました。

血友病患者であったライアンは、血液製剤の輸血治療を受けていましたが、

13歳の時に汚染血液製剤からエイズに感染しました。

それ以後、5年間エイズと闘います。

まだエイズについての正しい知識が広まっていないこともあって、

厳しい偏見の中にさらされます。

それでもライアンは、多くのメディアに登場し、

エイズに関する広報活動の分野で多大な貢献をしました。

多数のテレビ番組出演やエイズ教育のための講演会を行い、

各界の多くの著名人たちと幅広い交流を得ました。

とりわけ親しい友人となったのは音楽家のエルトン・ジョンやマイケル・ジャクソンでした。

しかしライアンの命は尽きます。

1990年4月8日のことでした。(参考:Wikipedia)

    

本を読みました。

エイズと闘った少年の記録 (心にのこる文学 (7)) エイズと闘った少年の記録 (心にのこる文学 (7))
加藤 耕一

ポプラ社 1992-07
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ライアン・ホワイトが綴った手記をもとにした本。

どのような偏見に苦しんだか、

どんな人に支えられたか、

血友病やエイズの病気のこと、

死を目前にどんなことを考えたかなど、

切々と伝わってきます。

亡くなってから20年。今になってこういう少年がいたことを知りました。

    

噛むことに関するCDを借りたおかげで知りました。

CDができたのは1995年。

保健教育に関する曲を100曲作ることを目指したシリーズの1枚目。

このCDを作った人に感謝。

2010年1月30日 (土)

1月2度目の満月/西古瀬川の河津桜開花直前

今晩はブルームーン。ブルームーンについてはここに書きました。

ここでも道草 星空観望会/ブルームーン(2010年1月25日投稿)

家の2階から撮った満月。

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う~ん、月にピントが合わず。残念。

   

豊川市の西古瀬川(さいこせがわ)の川岸に河津桜が植えられていて、

もうじき開花しそうだと聞きました。

全く知らなかったこと。場所を調べて、出かけてきました。

     

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木に近づいて、芽を観察しました。

ソメイヨシノと同じように、丸っこい芽は花芽。

先がとがった芽は葉芽のようでした。

ソメイヨシノよりピンクが濃い花が少し顔を出しているものもありました。

    

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河津桜の開花期は、2月の始めから1カ月ほどとのこと。

来週の土日には咲いているだろうなあ。

楽しみです。豊川市の新名所になりそうな予感。

2010年1月29日 (金)

手本と見本

校内の研究紀要の文章校正を、昨晩、みんなでじっくり時間をかけて行いました。

やっている中で、「手本」と「見本」はどう違うの?という面白い疑問をもちました。

調べました。

国語辞典だと、次のようです。

【手本】 習う人が模範とすべき字や絵などのかいてある本。 見習うべき物事。模範。

【見本】 商品などの質や形状を買い手に知らせるために示す品。また、そのために作った物。サンプル。 具体的な例。手本

    

「見本」の意味の中に、「手本」があるので、見本は手本と同じとも言えますが、微妙に違いはあると思います。

    

「人のお手本にはなれないが、見本ぐらいにはなれる」

という慣用句があるようです。

これは「手本」「見本」の違いをうまく表現しているなと思いました。

   

「手本」は完璧な模範。目指すべきもの。

「見本」は完璧ではないが、その全てが参考になるもの。

   

こうやって使い分けるのがいいのかなと思います。

   

   

教師としての自分は、「手本」の域ではないなあ。

「見本」ですね。立派な見本になるように努力したい。

    

2010年1月28日 (木)

冬芽・葉痕の接写/小さなバスケットヒーロー

よく使っているデジカメは、山登りのハードな状況でも壊れにくいものをと思って買ったデジカメです。

丈夫で、もう何年も使っていますが、十分使えます。

しかし接写が少々不満足。

そこで昨年もう一台買いました。

お店で、接写が強いデジカメを聞いたところ、勧められたのがこれ。

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RICHOのCX1です。

   

冬になって、冬芽が気になり始めました。

冬芽の中にはとても小さいものがあります。

それを写すには接写が必要。

昨年買ったこのカメラを使うことにしました。

    

これはヒトツバタゴの冬芽、そして葉痕です。

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どこかユーモラスな表情がありました。

   

次はイチョウの冬芽と葉痕。

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葉痕を積み重ねた上に新しい冬芽ができていました。

歴史を感じました。

寒風の中、葉っぱが出ているのがありました。

勘違いをしたのでしょうか?

小さな葉っぱは、寒さで縮みあがっているようでした。

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このカメラの接写は気に入りました。

身近なささやかなものをせっせと撮っていこう。

    

    

    

話は変わって・・・・

昨晩はこの映像を見れてよかったと思いました。

ムッシュさんのブログで紹介されていました。

バスケットボールのコーチが、マネージャーのマックをゲームに出したいとメンバーに提案。

その時のメンバーが言った言葉がうれしかったなあ。

10分ほどのドキュメンタリーです。

2010年1月27日 (水)

星空観望会8(最終回)/シリウス/アンドロメダ大銀河/カノープス

シリウスを見させてもらいました。

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この写真は、「space」http://yumis.net/space/star/k_image/sirius-z.htmより。

  

きれいでした。

青白い光でした。

1万度の高温なのでこのような色になるそうです。

シリウスは地球に近いため、この光は2001年夏の光だそうです。

2001年と言えば、4月に小泉首相が誕生し、

9月にはアメリカ同時多発テロがあった年。

その頃の光が今届きました。

    

この晩望遠鏡で見た最も遠い星々は「アンドロメダ大銀河」でした。

その距離は、230万光年。

他の観察した星々の距離に比較して、桁違いに遠いです。

望遠鏡の中央にうっすらと見えました。

こんなに離れているのに、星々がうっすらでも見られるということは、

かなりの数の星があるためだと教えてくれました。

230万光年!星がたくさんある!・・・・気の遠くなるような話です。

銀河鉄道999の終着駅。

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空想の世界なら、230万光年もへっちゃら。

   

   

講師の先生に最近興味を持ち始めたカノープスのことを尋ねました。

シリウスの下の方にあって、地平すれすれに見られる星。

まだ一度も見ていない星。

東北地方以北では見ることができない星。

本当はシリウスの次に明るい星ですが、

地平線すれすれのため、空気の層にじゃまされ暗く見えるそうです。

カノープスを見るためには、どうやって見たらいいのか。

どのように見えるのか。そんなことを尋ねました。

講師の先生が、和歌山県の山で撮ったカノープスの写真を見せてくれました。

赤く、ちょうどベテルギウスのように見えたそうです。

シリウスが南中した頃に、シリウスから右斜め下付近にあるとのこと。

地平すれすれに明かりが少ない場所を選ぶこと。

案外山の上からの方が、空気の層のじゃまを減らせると思うと教えてくれました。

この冬、カノープスの観察に挑戦してみたいです。

   

以上、星空観察会の報告でした。

2時間。寒かったけど、だから星がきれいに見えました。

50人はいたお客さんは、2時間後には数人になっていました。

    

    

星空観望会7/火星の接近

火星は地球のすぐ外側をまわる太陽系の第4惑星です。

そして地球へおよそ2年2か月ごとに接近します。

明日(1月28日)がその最接近日。

火星の明るさは-1.3等となり、赤く目立ちます。

23日の星空観望会でも、東の空を昇っていく火星を望遠鏡で観察しました。

デジカメの映像機能で撮影してみました。

映しながら拡大したため、

最後には火星を撮りそこなっていますが、よかったら見てみてください。

下記をクリックしてみてください。

火星の映像

風が強い晩だったこともあって、

火星がゆらゆら揺れて見えます。

講師さんの声と私の声が入っていますが、あしからず。

講師さんには、火星の赤い模様が見えるようですが、

私にはよくわかりませんでした。

   

今回の火星と地球の接近はそれほど接近しているわけではなく、

2018年や2020年になるとかなり近くなり、

火星は大きく見られるそうです。今から楽しみです。

    

    

星空観望会6/ベテルギウス/ウサギ座

オリオン座のつづき。

今爆発するかもしれないということで話題のベテルギウスも望遠鏡で見させてくれました。

肉眼で見た通りの赤色でした。

爆発は「超新星爆発」という形をとるようです。

巨大な星が、長年燃え続けたすえに、大爆発を起こす現象です。

突然、新しい星が生まれたように明るく光るので「超新星」とつくようです。

ベテルギウスが爆発した時は、-15等星くらいの明るさになると予想されています。

     

「ベテルギウス」という恰好のいい名前の意味も教えてくれました。

「脇の下」でした。

確かにオリオンの脇の下に位置する星です。

リゲル」も教えてくれました。

「足の裏」・・・これも確かにオリオンの足の裏に位置します。

    

  

オリオン座の「三ツ星」を昔は初詣で拝んでいたと

講師の先生が教えてくれましたが、

インターネットではその内容でヒットしませんでした。

    

オリオン座の下に位置するウサギ座のことも話題になりました。

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確かにこの星の並び、星座線を見ると、ウサギに見えます。

オリオン座のすぐ下にあるため、

オリオンに追われている野ウサギと言われています。

 

2010年1月26日 (火)

星空観望会5/M78星雲

オリオン座には見所がたくさんあると教えてもらいました。

三ツ星の一番下の星の近くにあるの馬頭星雲

そしてM78星雲もあり。

M78星雲はウルトラマンの故郷として有名。

1500光年先にある星雲。

この星雲は見させてもらいましたが、よくわかりませんでした。

地味な星雲です。

ウルトラマンは3分間怪獣と戦うために、1500年かけてやってくると講師の先生が言っていました。

往復なら3000年!

   

さらに講師さんは面白い話を教えてくれました。

実はM78星雲ではなくて、M87星雲のウルトラマンの故郷としていたそうです。

しかしミスがあってM78星雲になってしまったとのこと。

この面白い話を詳しく書いたものはないか探しました。

ちゃんとありました。

「星空の散歩道」http://www.mitsubishielectric.co.jp/dspace/column/cw40.html

一部引用します。 

   

筆者は昔から、どうしてこんなちっぽけな星雲がウルトラマンの故郷になったのか、不思議だった。

とりたてて何の特徴もないし、天文ファンでさえ、あまり好んで見ようとするものではない。

いってみれば無名の星雲である。

メシエ天体の中から、同じ種類の星雲を選ぶとすれば、

オリオン大星雲M42のほうがずっとよかったはずである。

どうして、こんな何でもない天体を選んだのか、ずっと疑問だったのである。

その謎を解く鍵は、実は東から上ってくる春の星座:おとめ座にあった。

おとめ座は、われわれから最も近いおとめ座銀河団と呼ばれる銀河の集団である。

その数も規模も半端ではなく、われわれの銀河系が属する集団がせいぜい50個に満たない局部銀河群であるのに対して、

おとめ座銀河団は優に千個を超える。

まさに銀河の宝庫であり、その研究には欠かせないフィールドになっている。

おとめ座銀河団の中心にどーんと居座っている巨大な楕円銀河がM87である。

通常の渦巻銀河が十個以上も集まったような巨大な銀河で、

非常に強い電波やX線が放射されていることも異常であった。

もともと普通の楕円銀河の中にはほとんどガスや塵がなく、

比較的古い星ばかりなので、密度が薄くすかすかなはずである。

そんなすかすかな銀河の中から、どうして強い電波が出るのか、

かつてはたいへんに不思議だった。

(ちなみに現在では、楕円銀河が回りの銀河を次々と飲み込んで、その中心にある巨大なブラックホールに物質が吸い込まれるときに強い電波やX線が発生すると考えられている。)

   

そんなわけで、当時かなり話題になった特殊な銀河であるM87をウルトラマンの故郷にしようと、

生みの親である円谷英二監督は考えたらしい。

当時は銀河も一般に星雲といっていたので、

M87星雲がウルトラマンの故郷に決まったのである。

ところが、ウルトラマンの最初の企画の中では、M87だったものが、

その後の台本の印刷段階のミスによって、

7と8の数字がひっくり返り、M78になってしまったらしい。

おかげで、なんの特徴もないM78星雲の方が有名になってしまったわけである。
   

    

面白い。昨年夏休みから夢中になってきた星。どんどん深みにはまってきて楽しい。

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