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2009年11月29日 (日)

新美南吉記念館2/昭和7年「ごんぎつね」スタート

新美南吉記念館の近くにあり、かつて新美南吉も通った小学校が

岩滑(やなべ)小学校です。

この小学校のHPを見ると、新美南吉の資料があって勉強になります。

※「岩滑小学校」http://www.yanabe-e.ed.jp/

今回のブログの投稿にも参考にさせていただきます。

   

新美南吉は大正2年(1913年)7月10日に生まれました。 

南吉が生まれた時から実母りゑの体調不良が続き、

南吉が4才になった大正6年11月4日に死別しています。

30歳の若さでした。

実母の死は、おさない南吉の心に深いきずあとを残しました。

南吉の詩や童話の中で、やさしい母親が登場するのは、このことが理由だと考えられています。

     

昭和6年に、4月から8月まで、南吉は母校の岩滑小学校の代用教員になりました。

その時の教え子の言葉が、岩滑小学校のHPに載っています。

※「南吉 生い立ち」http://www.yanabe-e.ed.jp/01nankitiMap/nankiti_oitachi/oitachi2.htm

教え子のJ.Sさんのお話です。

小学校には体育館がなかったので、雨の日にはどの先生も本を読んでくれたものです。

でも、新美先生は自分で書いた物語を読んでくれました。

ごんぎつねの話もわたしは先生から直接聞きました。

      

このころすでに「ごんぎつね」のストーリーができていたわけです。

そして翌年昭和7年に、「赤い鳥」1月号に童話「ごんぎつね」が載りました。

記念すべき「ごんぎつね」のスタートは、昭和7年でした。

   

もうすでに25年目になってしまった教師人生。

教えてきた子どもたちは、私のことを覚えているのだろうか。

覚えてくれているなら、どのようなことを覚えてくれているのだろう。

ふと思いました。

   

    

新美南吉記念館の入り口にある南吉の人形。

Pb280003   

   

   

師範学校に入りたくても体が弱くて入れなかった南吉。

人形も細身でした。   

   

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